茂木健一郎氏が語る「生成AI時代における人間とAIの関係」~空前のAI開発競争で日本が勝つカギとは?【Developer eXperience Day 2024レポート】
はじめに
生成AIの開発競争が激化し、日進月歩で性能が向上、日々新しいモデルが登場しています。
2024年7月17日に行われた日本CTO協会主催のDeveloper eXperience Day 2024に、脳科学者の茂木健一郎氏が登壇。日本が、人間が、AIのある時代をどう生き抜くか、どうアライメント(≒調整、協力、連携)をしていくかについて講演を行いました。
「AI開発の資本力においては、日本は欧米諸国と競うことができない。人間は計算でAIと張り合うことはできない。」
と語った茂木氏でしたが、同時に日本/人間だからこその価値が見出せるのではないかという意見も示していました。
“開発者体験” をテーマに各社が技術的な発信をするDeveloper eXperience Day 2024の中、一風変わった脳科学の視点からのAIに対する講演。開発競争が進みAIモデルが乱立する中で、AIは作るのではなく、選ぶ時代とまで言われる昨今において、私としては技術的なテーマよりも、「AIは今後人間にとってどのような存在になるのだろうか」という根源的な問いを持つようになっていました。脳科学からのアプローチなら、そんな問いにも何かしら発見があるのではないか、と思い参加した講演でしたが、そんな問いに一つの解をもたらしてくれました。
本講演の内容を紹介します。
棋士とAIの関係性から見えてくる「人間の判断を補強する」AIの在り方
AIの著しい発展により、人間の仕事がなくなる、代替されるといった言説も飛び交っています。AIを人間の仕事を奪うものとして捉えず、上手くアライメント(≒調整、協力、連携)して付き合っていくにはどうしたらよいのでしょうか?
茂木氏はこの命題を考える上でのヒントとして、「棋士とAIの関係性」を取り上げました。
将棋AIは、1975年に早稲田大学のチームによって世界初の指将棋のコンピューターシステムが開発されました。ただ、当時は非常に弱く、人間とどちらが強いのかなどと論ずる土俵にも乗っていなかったそうです。しかし、2012年からAIとプロ棋士が公式対戦する「電王戦」が始まると、A級のプロ棋士が次々と敗北するという事態が起きました。将棋においては、すでにAIが人間を凌駕する手を打つことができる状況なのです。あくまで一例ではありますが、すでにAIは情報処理の分野で人間を大きく上回る性能を保有していると言えるでしょう。
とはいえ、プロ棋士がAIに代替されたかというと、全くもってそんなことはありません。むしろ、現在プロ棋士はAIを譜面研究に用い上手く付き合う形で共存をしています。藤井聡太氏をはじめとする多くの棋士は、自身が高いレベルで将棋を指す能力を鍛えるためにAIを使っているそうなのです。
このことから、茂木氏はAIと人間の関係性を考えたとき、大きく2つの関係に分かれると主張しました。自分で考えることを放棄するためのツールか、脳を鍛えるためのパートナーか、です。AIと棋士の関係はまさに後者であり、上手くアライメントしている一つの例と言えるでしょう。自身より高次にあるものを上手く使い、能力の向上に活用する ― AI時代における、人間に求められる一つの在り方ではないでしょうか。
複数の選択肢から責任を伴う判断をするという行為は、現状人間にしかできません。AIの情報処理能力は、決して判断というプロセスを人間から代替するためではなく、より最適な判断を下すための補強に用いられるというのが、棋士とAIの関係性から見えてくる人間とAIのアライメントに対する示唆ではないでしょうか。
AI時代における人間らしさは、偶発性を伴うクリエイティビティ
茂木氏は将棋とAIの関係からもう一つ、「人間は人間が関与したものごとにしか興味がない」という見解を示しました。
「人間を遥かに凌ぐ腕前のAIが2機、ハイレベルな将棋を指しています!…誰が見たいと思いますか?」
言葉にすれば当たり前に思える茂木氏の言葉。ただ、会場でこの講演を聴いていた私ははっとさせられました。空前の技術競争でどんどんと性能が向上する生成AIですが、あくまで人間の関心は技術の向上それそのものではなく、その技術を使って何ができるか、言い換えると何を人間が創造できるかに寄せられていることに改めて気づかされたからです。
茂木氏はこう続けます。
「AI時代というものを後から振り返ると、ルネサンスと近しい規模のパラダイムシフトが起きていると言えるかもしれません。」
人間にはそれぞれ神から授かった使命・役割があるという思想から脱却し、人間らしさを求める新しい文化の動きが起こったルネサンス。それと同様に、AIに情報処理の分野で上回られたことによって、情報処理能力はホモサピエンスの本質であるという思想からの脱却が起きているというのです。
茂木氏が語るように、近い未来、人間のかしこさ≠情報処理能力という時代が訪れるのではないでしょうか。その時代において、人間らしさとされるものは、AIを使いこなした先に得られる、人間ならではの偶発性を伴うクリエイティビティなのではないかと私は思うようになりました。
キーワードは社会的感受性
ここまでの話の総括として、茂木氏は人間とAIのアライメントを考える際に、社会的感受性というものが重要だと語ります。社会的感受性とは、言葉を介さずに相手の表情から、心の状態を感じ取ることができる力のことであり、「今、この人はどう感じているのだろう」ということを精度高くキャッチするための能力です。
実は、この社会的感受性が高いチームのほうが、チームリーダー/メンバーの個々の能力が秀でているチームよりも高い成果をあげることが、カーネギーメロン大学 ウーリー氏の研究で明らかになっています。茂木氏は、AIによって個々の情報処理能力が向上するよりも、この社会的感受性をいかにスケーラブルなものにするのか、という問いについて、関心を寄せていると語りました。AIが外付けの機能として人間の情報処理を代替する在り方よりも、社会的感受性を高めるコパイロットとして人間や組織に寄り添う形と言えるでしょう。米マイクロソフトがまさに進めている、AIがミーティングに参加し会議のファシリテーションなどを行うアプローチは、これに近しいものではないでしょうか。
また、茂木氏はこうも続けます。
「AI開発の資本力においては、日本は欧米諸国と競うことができない。ただ、元来日本人は社会的感受性に秀でた国民性を持っている。日本がAIで諸外国と競える点があるとするならば、AIを用いてチームのクリエイティブインテリジェンスを高めるという道ではないだろうか。」
脳科学とAI。一見直接的な関係が見えにくい両者の立場から、今後のAIおよび日本の行く末への見解を出し、茂木氏は講演を締め括りました。
おわりに
講演前は人間とAIの関係を、仕事を代替する側とされる側という二律背反で捉えていましたが、本講演を受けたことでそれぞれの特性が脳科学的観点からクリアになり、両者がどう共存していくかという道が見えたように思います。
判断の主体である人間が、あたかも外付けの情報処理機能としてAIを活用することはもちろん、人間ならではの社会的感受性をブーストさせるパートナーとしての存在がAIであり、今後AIがこれらの役割を持ったチームのいちメンバーとして扱われる時代が来ると私は考えています。働き方のグローバル化の中で失われつつありますが、元来日本では「忖度」「以心伝心」「付和雷同」など、上手く組織に合わせて動くことをよしとする国民性が存在していました。それらを生産性を落とす方向にではなく、パフォーマンスを上げる方向へ向けるカギがAIなのではないでしょうか。
私の所属する株式会社メンバーズでは、全職種が顧客先の社員と同じ目線で成果のことを考えるという姿勢がよしとされており、成果を上げてきました。その成果の要因の一つが、外部企業であれど顧客の文化や内情をよく知ろうとするとする中で自然と発揮される社会的感受性にあったのではないでしょうか。
AIは顧客先の内製化を進め、我々のような受託系の企業の仕事を代替する存在でもあります。半面、異なる企業やバックボーンからなるメンバーで構成される組織の、ハブとなりパフォーマンスをあげるキーとなるのもまたAIであると思えるようになりました。
顧客とのワンチーム体制で成果を目指す企業として、このようなAIの在り方をこれからも模索していきたいと考えています。
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